【ぼくは麻理のなか】意味不明・意味わからない方向けに解説していく

どうもこんにちは春日(嘘)です。今回は、「ぼくは麻理のなか」が意味不明であるという方のために、意味がわかるように解説していこうと思います。

「ぼくは麻理のなか」の話を難しくしているのは、言うまでもなく麻理と小森の入れ替わりです。ある日突然女子高生になっていたから入れ替わったのかと思いきや、当の小森は小森として普通に生活しているわけです。

だから麻理小森(体は麻理、中身は小森)と小森小森(小森の体、中身も小森)が存在することになり、麻理麻理がいなくなってしまったということが「ぼくは麻理のなか」の難しいところなのです。この辺を主に解説していこうと思います。

吉崎麻理の正体

結論から言うと、吉崎麻理と小森功は入れ替わっておりません。

しかし麻理が小森の人格を持っているのは間違いありません。あの麻理小森は、麻理が作り出した新たな人格なのです。難しいので順を追って説明していきます。

主人公となる吉崎麻理さんは、誰がどう見てもかわいい女子高生であり、長い足をすらっと見せびらかして歩いている毎日。男ならば誰しもがチラ見してしまうような美少女なのです。

小森功は大学生、幼き頃から現在まで、女性と話したことは殆どないコミュ障。故に大学に入っても友だちができず、ある日きっぱりと大学に行くのを辞め、しかし親からは仕送りをもらい生活するヒキニートなのです。

いわゆるリア充の頂点の美少女とボッチ界の中でも最弱のオタク野郎。見える世界に共通点が少しでもあるのでしょうか?

麻理は普段から自分のことをかわいいかわいいと言ってくれる人たちに対して、外面しか見ていない、中身(精神世界)を見てくれていないという辛さがありました。だからこそ自分とは全く違う小森功を発見し、彼のことをストーカーするようになりました。

何者にも干渉されず、毎日ゲームと自慰行為に明け暮れる彼のことを見続けるあまり、小森がどこに自宅の鍵を隠しているのかも知っている。毎日の暮らし方を毎日見ていたため、麻理も小森の外面は全て知っているわけです。

さらに玄関にかかっている傘に鍵を隠している事も知っています。それを使って部屋に侵入し、さらに詳しく小森をプロファイリングすることになります。

そんなことをしているうちに、ある日麻理は、自分が小森功だと思いこむようになってしまったということです。だから麻理の体に宿った小森の意識は小森のものではなく、麻理が作り出した小森の意識なのです。

小森くんはこういう人・・・・

麻理がこれまで見てきた小森の姿を自分のものだと思い込み、その麻理の中の小森を演じているだけなのです。少し強引かもしれないな~と思うかもしれませんが、麻理は精神的にかなりのストレスを抱えており、それがきっかけとなり今回の人格が現れたのです。

解離性人格障害(多重人格)

麻理の体に小森の人格が宿ったという状況はいわゆる解離性人格障害、いわゆる多重人格です。

基本的には小森の人格ではありますが、ところどころで麻理の記憶が残っているような描写があります。ですので吉崎麻理という1人の体に麻理と小森という2つの人格がある状態となっています。

麻理本人はこれに気づいておらず、完全に自分が小森であると思い込み、自分の体、すなわち吉崎麻理を客観的に自分のものではないと思うようになっているのです。

自分の体を自分のものではないと思う、っておそらく誰も経験がないと思います。もちろん私もありません。だからこそ分かりづらいのですね。そして何が原因で麻理は多重人格を発症したのでしょうか?

自分の中にいくつもの人格が現れるものを多重人格障害解離性同一性障害)といいます。 ある人格が現れているときには、別の人格のときの記憶がないことが多く、生活面での様々な支障が出てきます。 これらの症状は、つらい体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応と考えられています。

https://www.mhlw.go.jp › kokoro › know › disease_dissociationより引用

つらい経験、とは何を指すのでしょうか?

ふみこから改名

「ぼくは麻理のなか」終盤にて、自分の幼き頃の写真を見た麻理は、なぜか’ふみこ’という名前を思い出しました。その記憶には既になくなっている麻理の祖母の記憶も含まれていました。

これにより、完全に麻理小森(麻理の体で小森の意識)は麻理が作り出したものであることが判明しました。だって小森は麻理の祖母の記憶があるわけ無いですし。麻理本人の記憶じゃないと説明が付きません。

そしてこの’ふみこ’という名前は、麻理の祖母が麻理につけた名前なのです。祖母は麻理のことを大変にかわいがっており、名前もつけて毎週麻理のもとに訪れて服を買ってくれたのです。

しかし祖母の死後、もともと’ふみこ’という名前を気に入っていなかった麻理の母親は強引にふみこから麻理へと名前を改名。これがきっかけで麻理はストレスを抱えてしまったということです。

麻理の心の中では、祖母がつけてくれたふみこという名前を強引に麻理へと変えられてしまった、ふみこを守れなかった罪悪感、祖母を裏切ってしまったという自己嫌悪が強く存在します。

その後’麻理’と呼ばれるたびにその罪悪感が蘇り、毎日のようにストレスが強まっていました。それはすなわち’自分がふみこである’というアイデンティティも強く残っているということ。だからこそ’麻理になりきれていない’という気持ちも無意識的に存在しているのです。

つまり、自分が何者なのかを自分でも理解できていなかったという状況なのです。ふみこなのに麻理、でもふみこじゃない、私は麻理なの?ふみこなのに?でも麻理って呼ばれてるし・・・

自由な小森功に憧れ

というアイデンティティ・クライシスを迎え、自分でも気づかないうちに限界突破しそうだったその頃、そんな自分とは全く違う小森功を見て、自分の知らない世界を知る小森を見ているうちに、現実逃避癖がついた結果、新たな人格が芽生えたということです。

小森功の人生はである。

自分で言ってましたね。なんて麻理はしない、誰しもがそう思うことでしょう。しかしそれは麻理の中を知らない人たちがつけた勝手なイメージにすぎません。だからそれに従う必要はまったくないのです。

しかし人は他者の視線を無視できるものではありません。気にしないようにしながらも、それは気にしているということ裏返しです。だから自分へのイメージに対して、ある程度従ってしまうのが人間というものです。

麻理は美人なのでその分他者から勝手なイメージを押し付けられやすいのです。

麻理はおしとやか 麻理はいつもかわいい 麻理はおならしない 麻理は字もきれい 麻理はスタイルいい 麻理は頭いい 麻理はエロいことしない 麻理は処女

などなど。勝手なイメージを持たれがちなので、美人はそれだけで縛られまくっているわけです。そしてアイデンティティが崩壊直前状態だった麻理は、これらに従ってしまうタイプだったのでしょう。

その結果、自分の意志ではない’麻理’が出来上がり、さらに本当の自分から遠ざかってしまったということです。そして出来上がったのが小森功という全く関係のない人物像。

自分がわからなくなってしまったから、全く関係ない人になっちゃおうという心の動きだったのかもしれません。

まとめ

名前というのは生き物にとって最大のアイデンティティです。これが揺らいでしまうと麻理のようなことも起こる可能性があります。だから親の好き嫌いで勝手に名前を変えてはならないということです。

「ぼくは麻理のなか」のテーマは間違いなくアイデンティティだと思います。自分が何者なのかを正確に知っておくことがすべての基盤にあるわけです。麻理のように自分が何者なのかわからなくなってしまうと、精神にかなりのダメージがかかりますし。

しっかりと自分を知っておくことが重要だということです。

いかがですか?多少は「ぼくは麻理のなか」が意味わかる様になりましたでしょうか?

麻理の精神状態が弱り、結果的に全く違う人格に逃避したということです。

当記事を2周くらい読んでいただければ、さらに理解しやすくなると思います!

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