【血の轍】静子に共感できるシーンまとめ【みんなの反応も】

どうもこんにちは春日(嘘)です。今回は、「血の轍」に共感できるところがあるのでそこを書いていきます。共感というか、「血の轍」について、特に静子の心情分析をしている時に感じました。

「あれ?従兄弟の家ってこんな感じだよな。」

私のいとこは静一に似ています。そしていとこの両親、つまり私から見たら叔父と叔母はまるで静子のようだと感じました。最初はなんとなくの違和感だったのですが、いとこを見ていると「あっ血の轍だ」と思う部分が多く、かなり共感できる部分が多かったのです。

他にも静子の過保護にもうなずけないわけではありませんので、親目線で考えてみます。

血の轍に共感できるシーン

まずはじめに申し上げて、私は28歳男性、未婚であり子無しなので親の視点はありません。そのため世のお母様、お父様方と同じ視点ではありません。しかし私も子供ができたらめちゃめちゃ可愛がるだろうと思います。

なので静子の過保護がまったくもってダメ!と思っているわけではありません。程度の問題だと思ってます。

そして世間の反応を見てみると、「血の轍怖い!」という意見が多い中、意外にも「静子みたいな人いる!」「母として気持わかる!」という共感する声も多くあります。そのためまずは世間の声をご覧ください。

静子の過保護

このように、もちろん「静子こわっ!(,,゚Д゚)」という方々のほうが多いうように思いますが、「リアル静子ママみたいな人いる!」という意見もありました。このブログを立ち上げた頃は、静子ママみたいな人は誇張されすぎだろwと思っていました。

しかし実際に私のいとこのことを考えるとそうでもないのです。割と普通に存在すると思います。

それではリアル身内の話なので、身元がばれないようにお話していきます。

過保護にされた子供たち

私のいとこは2人おり、両者とも20代なかばです。姉と弟なのです。

そして彼らは両親(叔父と叔母)、そして私の祖父母と同居しています。そのため昔から何でもかんでも周りの人間がすべてをこなしてくれていたのです。

例えば、私が小学生の頃、たまに泊まりに行く日は焼き肉をしてくれたのですが、その際に祖母から「何が食べたい?」と聞かれると、「カルビとハラミと牛タンとご飯!あとあのタレもほしい!」と私は自分の欲望を言葉にして伝えました。

同じように祖母がいとこにも「何にするの?」と聞くも何も答えません。もともとレスが遅いというか、妙に神経質で思考が遅いのです。その結果祖母が「じゃあ○○(私)と同じでいいね。〇〇(いとこ)も牛タン好きだもんね?」というと、少し間をおいて弱めにうなずくいとこ。

この記憶を思い出し、「肉まんとあんまん、どっちがいい?」の質問を思い出しました。吃音になった静一が本当はあんまんが食べたいのに、母の圧力に負けて「肉まん」を選んだときと同じようです。

【血の轍】肉まんとあんまんの質問は静子の洗脳方法だった

 

その後祖母宅で焼き肉の準備をする際、私はプレートを準備して先程購入した肉を一列に並べうっとり、その他にもジュースや箸や皿などを準備している横で、いとこは何もせずにただ座っているのです。

私はあの家ではゲストですので、それくらいのお手伝いはしないといけません。彼らにとっては「何もしないこと」が普通であり日常なのです。

それは私だけでなく祖父母、叔父と叔母のような周りの人間がすべて身の回りのことをやってくれるから。

そして焼き肉が始まり、私は先程並べた肉をついにプレートに並べ、星型の陣形を作り、美的感覚に優れた美しい配置に並べ終わりました。そろそろお肉が焼けたかな?と思っている私に対して、いとこは何もしません。

すると横に座っていた叔母がこう言うのです。

叔母「ほら〇〇(いとこ)お肉焼けたよ!どれ食べるの?」

 

いとこ「・・・・・」

 

叔母「〇〇(いとこ)カルビ好きだったよね?じゃあカルビ取るよ!」

そう言っていとこが何も言わないままにいとこの皿を取り、絶妙に焼けたカルビを数枚いとこのさらに放り、目の前に準備してあげるのです。さらにそれ以外にも焼肉のタレを皿にたらしてあげたり、ジュースをコップについであげたり。

「私にはそうしてくれないんだな」と子供ながらに思ったもんですが、そこまでされると逆にめんどくさいなとも思っていました。そして見ていると、食事中いとこたちは席に座ってからしたことと言えば、ただ目の前に準備されたものを食べるだけ。

プレートの準備、皿の配膳、タレを入れたりジュースを継いだり、箸の準備も何から何まで周りがやってくれたわけです。彼らはそれを食べるだけ。しかも明確に意思表示をしてもいないのに。

昔からこんな感じなのです。

極端に意思表示が弱く、それは周りが彼らが何を言わずとも勝手にやってあげてしまうから、自分では何もできなくなっているのだと思います。私はもう28歳ですが、彼らとまともに会話が成立したことはこれまで、幼少期に数回しかありません。

しかもいとこたち、祖父母、叔父叔母にとってはこれが普通であるため、私のような部外者のような意見は聞き入れられません。かつて「もっと〇〇の意見聞いてあげなよ。何か言おうとしてるんだからさ」といったことがあります。

すると「大丈夫。あいつらのことは俺が一番わかってるから」との返答。

叔父も叔母も静子ほどにヤバいやつ感はなく、むしろ普通な人たちであることは間違いないのですが、「血の轍」を見た今考えると、無意識なところが逆に怖いです。

そして彼らが今どうなっているのか、いとこの現在をご紹介します。

彼らの現在

姉は現在大学を卒業してからスーパーのアルバイトをしていたのですが、人間関係がもとで辞めて、現在はSEとして働いているようです。弟は大学を中退して現在は第二新卒枠で就活をしているようですが、書類が通らないと嘆いているそうです。

身内なので肩書には興味がないのです。今年の元旦も祖父母宅に訪れたのですが、彼らの声を聞くことは相変わらずありませんでした。彼らは私ともまともに話せないのか・・・

この理由として、彼らは「何も言わなくてもなんでもわかってくれる人」としか会話ができなくなっているのではないか?と私は推測しているのです。一応私も20年以上の付き合いなのにな〜と思います。

私は人に教える仕事をしているので、必ず相手に質問をして、返事が来るまで何も言わないようにしています。わからないなら「わからない」というまで待ちます。でも言わないのに’察してあげる’ことはしません。まあ顔見たらわかるけどね。

しかしここで特殊スキル’忖度’を発動してしまうと、それはクライアントのためにならないので必ず相手の返答を待つようにしています。

彼らからしたら、私は「わかってくれない人」とカテゴライズされているのかもしれません。だから彼らにしてみたら不要なコミュニケーションが必要になるので、私と関わるのはめんどくさいのかもしれませんね。

まとめ

私も幼少期からいとこに対する叔父叔母、祖父母の関わり方は過保護だな〜と思っていましたが、「血の轍」を読んでそれが同じものだとやっと理解できました。

もちろん可愛がられていることはいいことです。他者からもらう愛情ほど嬉しいものはありません。

しかしその結果まで考えてしなければ逆効果になることもあるな〜と考えさせてくれる作品だなあと思います。植物に水を上げすぎると腐ってしまうのと同じなのかもしれません。

ただし、私のいとこがたまたまそうなっただけで、すべての家庭に彼らと同じことが生じるかどうかはわかりません。むしろ適正量の愛情は絶対に不可欠だと思っています。

だからこそ言いたいのは、何事もバランスということです。子育てって難しいんだということを再度確認できたので、私も今後の人生頑張ろうと思います(笑)

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