【血の轍】静子のモデルは誰なのか調べてみた【毒親の定義】

どうもこんにちは春日(嘘)です。今回は、「血の轍」の最凶お母さん、静子のモデルについて調べていきます。

「惡の華」の仲村佐和が作者である押見修造氏の奥様をモデルにしているように、今回の長部静子にもモデルがいるのかしらと思いまして、今回は調べていこうと思います。

でもですね、静子は完全なる犯罪者であり、仮にモデルが居るとしたらその人物も犯罪者ということになりそうで、書いてはいけない情報に行き着かないことを願います。。。

静子ママのモデル

まずは調べてみると、いつものように押見修造氏へのインタビューを発見しましたので、その抜粋をご覧ください。

インタビュー文

――静子ママにモデルはいるんですか?

押見 僕の母親はこんなに綺麗ではなくて、自分の母親をそのまま持ってきているわけではないです。ただ、「思い出のなかの母親像」というか、それにいろいろ配合している感じです。男の子どもがいる母親に共通するにおい、というか、そういった部分が描ければいいですね。

http://konomanga.jp/interview/138104-2より引用

これを見る限り、押見修造氏の母親がモデルになっているようですね。

とはいえこの文章からもわかるように、顔や人間性はそんなに似ていないようです。かつての’母親像’を思い出し、そこに押見氏独自のデザインを加えていった結果が静子であるとのことです。

確かに自分の母親が静子みたいだったら嫌です(笑)

それにしても「僕の母親はこんなに綺麗ではなくて」という一文にフフフッとなりますね(笑)押見氏のお母上も「血の轍」をご覧になっているようなので、そのうち怒られることは言うまでもないですね。

静子と静一

母は息子に対して彼氏を求め、息子は無自覚にそれを受け入れています。

https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_AnanNews_179244/pid_2.htmlより引用

このような意見もあります。

単に「精神病」で片付けてしまうことも可能ですが、一応ここは考察ブログなのでとことん考察させていただきます。

【血の轍】静子は病気?静一の首を締めた理由を考察する

静子と静一の関係は旗から見ていると完全に異常です。それは側で二人を見てきたしげる母も言ってました。第8集にて「昔からおかしいと思ってたんよ」とついに激白されました。

  • 幼稚園の後ろでずっと見守ってた
  • 毎朝’こしょこしょ’で起こす
  • 頻繁に泣きながら抱き合う
  • 中2の息子にキスをする

時系列はバラバラですが、完全に異常です。私は小学校低学年くらいで母の存在が鬱陶しく感じ始め、その後周囲の目もあり、物理的な接触をそれまで以上に避けるようになりました。多分これが普通なのかな?と思います。

しかし静一は彼と静子の関係をおかしいと思うこともなかったのです。比較する対象がなかったために仕方ないかもしれませんけどね。でも大体の場合にはなんとなく話してて気づいたりするもんだと思いますが・・・

いわゆる毒親とは

毒親には色々な定義がありますが、ここでいう毒親とは「子どもの人生を支配しようとする親」のことを指します。

https://woman.mynavi.jp/article/190316-13/より引用

毒親という言葉に関して、諸説あるようですが、一般的には上記の定義がなされているようです。

静子に自覚はあるのかどうかわかりませんが、過保護に過保護に・・・とすることは、言い換えるとそれは静一が自分でこなす経験を奪うこと。なんでもそうですが、知っていることと使えることは違います。

だから自分でやってみないといつまでもできるようにならないのです。だから静子のようにいつまでも静一を手元に置いておきたい、どこにもいかないでほしい・・・

そんな思いから彼を過保護に・・・コントロールして何かを決める力、すなわち’生きていく力’を奪っているのかもしれません。おそらく静子も無意識で行っていることと思いますが、だとしたら天然で恐ろしい女性だということですね・・・

管理人のいとこに似ている

この話は書かないでおこうと思ったのですが、やはり書かずにはいられませんでした。

完全に個人的な話になりますので、興味のない方は飛ばしちゃってください。

私には年下のいとこが2人いまして、その2人が割と静一と同じような状態になっていることを思い出してしまいました。というのもですね、彼らは両親と祖父母と同居しており、昔から蝶よ花よ状態で過ごしてきました。

例えば食事のときにも叔父と叔母が「何食べる?卵?カニ?カニでいいのね?」といとこが返事をする前に勝手に決められてしまい、いとこが使う箸、醤油差し、コップ、ジュースなどすべて叔父と叔母が持ってきてあげているのです。

さらにもともとおしゃべりな方ではなく、むしろ口数の少ないほうだと思います。

結論から言うと、20歳を過ぎても彼らとまともに会話したことはありません。

昔から代わりに何でもしてもらっていたからだと思ってます。

例えば、いつかの元旦に私と母で従兄弟の家にご挨拶に行ったときのこと、私は現金欲しさに「あけましておめでとうございます!」と元気に挨拶し、大漁でした。そして私の母も彼らにお年玉をあげようと準備していたようでした。

そして彼らが母の前に現れると、挨拶をする、のではなく何をするでもなくもじもじしているだけ。そして次に口を開くのは叔母。

叔母「ほら○○、お年玉もらえるってよ!ちゃんとお礼言いな!」

 

いとこ「・・・・・・・」

 

母「○○ちゃん、ちゃんと挨拶しないとほんとにあげないよ〜?」

 

いとこ「・・・・・・・」

 

叔母「はい〇〇ちゃん、一緒に言おうか?はい、ありがとうございました〜」(いとこの頭を下げ

ながら)

 

いとこ「・・・・・・・」

当時からなんとなくこの時のことは印象に残っていました。なんとなく母がイライラしているようにも見えたからだと思います。

今になって考えると、母は叔母の過保護にしているその姿勢、そしてそれに甘んじて常識的な行為すらしなくていいと思っているいとこに腹を立てていたのかもしれません。ちなみに、これを書きながら当時の記憶がよみがえり、私もイライラしてきました(笑)

昔から母と色々と話したこともありました。

母「おじちゃんとおばちゃんでなんでもやってあげちゃうから自分では何もできなくなっちゃうのよ。中学生にもなって『あけましておめでとうございます』が言えないってどういうこと?」

拾の息子に愚痴るんじゃねえよと思いますが、大人になった私は同感です。最低限言わなければいけないことですし、あけおめの挨拶は言うのが常識、当たり前です。それができないというのは日本で生きていく上ではディスアドバンテージです。

そのことに気づいていない叔父叔母にいらおこだったんでしょうね、きっと。

まとめ

静子ママのモデルは押見修造氏の拾の母上とのことでした。

しかし実際に参考にしているのは見た目ではなく内面。そこから派生して様々な要素が加えられた結果、静子ママが完成したんだそうです。

先程の私のいとこの両親、私からしたら叔父と叔母ですが、彼らを見ていると「子供を支配しよう」などという邪悪な精神は感じられませんし、おそらく過保護にしているという意識もないと思われます。

しかし結果的にやっていることは子供の能力を奪っていることと同義であり、彼らは20台半ばになっても未だに「あけましておめでとうございます」すら言われたこともありません。言えないのではなく、言わなくてもいいと思っているんだろ思います。

なぜなら両親が代わりに言ってくれるから・・・

身内なんでなんとも言えませんが、昔から多少不安には思っていましたが、「血の轍」を見て「あっ、この話知ってる」と、考察をすすめるたびにより強く彼らのことが頭に浮かぶようになってしまいました。

知らず知らずに毒親になってしまっていることもあるかと思いますので、私も子供ができたら気をつけ泣けばいけないなと思い、人のふり見て我が振り治そうと思います。

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