【悪の華】仲村佐和の名言をまとめてみた【完全理解を目指す】

どうもこんにちは春日(嘘)です。今回は、「悪の華」の仲村佐和の名言をまとめてみました。

今回この記事を書こうと思ったのは私自身「悪の華」をどこまで理解できているのかを確認する目的もありますので、誤りがあればコメントにていただければその都度修正を加えていきます。

仲村佐和がどのような思考をしているのか理解できれば、「悪の華」を理解する一助になります。だからこそ、タイトルの「完全理解を目指す」の主語は’私’なのです。それではまず仲村佐和の心情からまとめていきます。

仲村佐和の精神状況

まず彼女は単なるサイコパスと思われがちですが、事実言動から考えるとそうも見えます。

しかし実際には行き過ぎな部分はありますが、彼女は普通の中学生女子なのです。ただだいぶ我が強いだけです。詳しくはこちらの記事で紹介しています。

【惡の華】仲村佐和が何を考えているのか完全解剖

佐和は周りの人物のように恋愛に勤しんだり、いわゆる青春時代を送ることに価値が見いだせず、価値観が全く合わないのです。そんな自分がマイノリティであることも理解しています。

だからといってそんな奴らに迎合して、気があったふりをする事もできない意思の強さがあります。

そしてそんな奴らのことを’クソムシ’、そこと違った価値観のある自分を’変態’と呼称しています。この差異を認識してしまったことでより一層クソムシと自分が違う存在であることを強く実感してしまい、「もう戻れない」と思ってしまったんでしょう。

だからこそ自分の道を突き進むしか残された道がなくなってしまいました。どこまで無意識で有意識なのかわかりませんが、結果的に1人で変態道を極める事になった結果、あのサイコパスが誕生した渡韓がています。

そしてそんな佐和にとって、春日高男はクソムシだらけの町で発見した最初で最後の自分の同じ’変態’なのです。だからこそ一緒にいたがったのです。

つまり、佐和も1人でいることに寂しさを感じていたということです。春日はそんな仲村佐和の’変態’を自分のアイデンティティとして見るようになり、行動をともにするようになりますが、春日の’変態’は常に揺らいでいますよね。

いつかの山中での佐伯と仲村、クソムシと変態のどちらも選べなかった、つまりどちらにもなりきれないことで両者から拒絶されてしまい、彼も中途半端にんげんとして自我を探し続けるようになります。

このように、仲村佐和は割と普通の思考がもともとはあったと考えられます。

友達のフリをするのが嫌だ、合わないならもうそれでいい。私は自分の信じる道を行く。でも1人では寂しい、仲間がほしい、春日高男だ!

というのが実のところだったでしょう。

以上のことを踏まえて、仲村佐和の名言をご覧ください。

うっせー、クソムシが

テスト返却の際に、担任の教師に対して言ったセリフです。

ここだけ見ると’単なるヤバイやつ’です。このあと担任教師が憤慨してキレそうになるも、佐和の恐ろしいまでの視線を見て恐怖を感じ、その場は収まったのです。

このことから佐和の中では自分と同世代の中学生だけでなく、大人もクソムシとカテゴライズされていることがわかります。町の中で普通の思考をしている人間、自分と価値観の合わないすべての人間をクソムシと思っているわけです。

私もきっと変態なの

盗んだ佐伯さんの体操服を着せてデートをしている最中、佐伯の目を盗んで春日を呼び出した際に言ったセリフ。

「私」というところが肝でしょう。

この時の佐和はずっと孤独だった彼女の人生の中に初めて仲間を見つけられた嬉しさもあり、好きな女の子とデートをして楽しんでいる普通の人間、つまりクソムシに春日が成り下がってしまうことが怖かったんでしょうね。

もしくは春日が自分と同じ変態であることを疑わず、「お前もこっち側だろ、だからあっちには行くな」という牽制なのかもしれません。

春日くんの被ってる皮、私が全部はがす

春日は最初のところでも書いたように、「僕は、変態じゃない」という意識があり、それが仲村的には仲間がいなくなることと同義なので許せないのです。

だからあくまで春日を自分と同じ仲間、変態であるとみなし、クソムシのように普通に告白して楽しくしていることを演技だと信じて疑いません。そのためクソムシと同じ行動をしているように見えて、実は変態であることをどうしても見たかったのでしょう。

佐和自身が安心するために。

お前の中身は蝿よりただれれてるよ

春日を巡って女の戦いが勃発し、佐伯菜々子が春日と無理やり結ばれた後、炎上する秘密基地の側で中村に対して「どうして私は仲村さんじゃないの!?」と叫んだあとに仲村が言ったセリフです。

解釈が難しいところですが、佐伯さんは佐和の中ではクソムシ代表のような存在です。

春日くんに告白されて嬉しかった。大事に付き合っていこうね。仲村に春日を取られて悔しががる。

ごくまともな思考をしているTHEふつうにんげんの佐伯さんは、それすなわちクソムシの典型。だからこそ仲村に対して春日は自分のものアピールをしてくる佐伯菜々子はクソムシそのもの。

そして最終話にて中学生時代の仲村の周りの人間に対する見方が描かれていましたが、その時春日以外のすべての人物が蝿人間のように描かれていました。クソムシ=蝿という構図が存在するのです。

だからそんな蝿人間である佐伯菜々子の「彼氏を取られて悔しい」という感情は、佐和にとっては一番理解できない部分。だからこそ「お前の中身は蝿よりただれてるよ」というセリフは「うっせ、クソムシが」の強意版と捉えていいでしょう。

どこへ行っても私は消えてくれないから

これが最も解釈が難しく、なおかつ佐和の心境を一番わかりやすく表現している部分だと思います。

佐伯菜々子が秘密基地を放火したとして自白して警察で聴取されたことを受けて、春日と仲村の犯行が木下亜衣によりバラされてしまいました。そしてどこにも行き場がなくなり、向こう側に行くどころか家から出ることすら両親から制限されることになりました。

そして深夜、仲村さんに連れられて向かったどこかの廃工場のような場所。そこで初めて弱さを見せた仲村佐和のセリフ。

春日くん、全部脱いでよ。もう時間がないんだよ。

ずっと叫び声を上げてた、私の下の方の変態が。

私にはわからない言葉で叫び声を上げてた

春日くんにはねかえって、私その叫び声の言ってることがわかった。聞こえた

「出たい」「出して」「どこ?」「出口はどこ?」「向こう側はどこ?」

でもわかった。向こう側はない。こっち側もない、なにもない。

クソムシも変態もない。もう・・・なにもない。

どこへ行っても、私は消えてくれないから。

単行本6巻より

完全に行き詰まり、自分たちが行ってきた変態としての行為はクソムシからしたら逮捕案件なのです。もうこれ以上我を通すことは不可能だとはっきりわかってしまったときのこと。

「全部脱いでよ。もう時間がないんだよ」

これは自分たちが逮捕されるまでの時間がないことを指し、それまでに春日が本当の変態なのか、それとも自分に合わせてくれているだけのファッション変態なのかどちらなのかを知りたいということ。

「ずっと叫び声を上げてた、春日くんにはねかえって・・・出口はどこ?」

これはもともと佐和の中にもクソムシを羨ましく思う気持ちがあったのだと思われます。

周りと同化することが良しとされる文化において、自分の芯が強い人物はマイノリティと称され、集団圧力を受けることになります。そこでクソムシの軍門に降るか、それとも我を通すかの選択を迫られます。

ご存知のように佐和は後者を選んだわけですが、だとしても前者へのあこがれもあったのです。しかし自分で自分は「変態だ」からあいつらとは一緒にいられない、いてはいけないと自分の心を強く縛ってしまいました。

つまり、佐和もクソムシになったほうが生きやすい、だから自分もそうなりたいという意識があったと思います。だからこそ自分で作った鎖に縛られている状況から脱したいという感情を「出口」と称しているのだと思います。

「出口もない、向こう側もない、なにもない」

それでも自分で作った鎖が強すぎて今更クソムシになることはできない。でもクソムシと完全に決別することもできない。向こう側というのはすなわち変態を極めるということ、でもそれをすると逮捕されてしまうため不可能。

だから自分にできることは’なにもない’のです。

クソムシになることも、変態として生きることもできないのです。

「どこまで行っても私は消えてくれないから」

ここで言う「私」というのは、あくまで変態としての佐和です。そしてクソムシとは一緒にいたくないという佐和の意思です。つまりどうすることもできないとしても、それでも消えない自分の鎖の存在のことを指していると考えられます。

マジョリティと一緒にいたいけど、それは自分のルールによりできない。でも自分のルールを突き進むと破綻することはわかってる。そこに春日を巻き込んだのは自分だ。

だから春日の本心が知りたかったのだと思われます。

佐和のような人は生きにくい世の中ですね。ただ私もいわゆるクソムシなのでクソムシ側の意見を言わせてください。

自分のしたいように生きるのは勝手ですが、周りの人に迷惑を掛けるのはやめなさい。以上です。

二度と来んなよ、ふつうにんげん

そして最後に、全てが終わった後、常磐文をつれて銚子まで仲村佐和に会いに行った春日に対し、仲村が言ったセリフです。

このセリフは仲村の成長を表していると考えています。

この時の春日は中学生の頃とあいも変わらずクソムシです。同じ「本が好き」という趣味を持つ常磐文と仲良くなり、告白して付き合って、同じ高校行こうねなんつって、いわゆるリア充、すなわちクソムシです。

そんな春日に対して佐和は’クソムシ’ではなく’ふつうにんげん’と言ったのです。

春日は何も変わっていない、でもかつてはそれを’クソムシ’と侮蔑の対象にしていたものの、現在はそれを’ふつうにんげん’と思えるようになったという佐和の心境の変化が描かれているのだと思います。

この段階で佐和の鎖もどこまでなくなったのかはわかりませんが、かつての彼女よりはいくぶんか生きやすくなったのではないでしょうか?

まとめ

このように、よくよく考えてみると仲村佐和はかっこいいと思えてきませんか?

どこまでいっても彼女の鎖は消えてくれないのです。自分がどれだけつらい思いをしても、それでも我が強すぎて自分ルールをへし折ることができない存在なのです。ある意味で彼女は自分の中に一本の線が通っているのです。

そしてそれが破滅へと通じていることもわかっているあたり、春日よりも正常な思考力を持っているわけですね。ある種カリスマ的存在である仲村と、よくわからないままについてきた春日。

仲村も春日の存在は寂しさを紛らわせるためには必要だったと思いますが、どこかでわかってしまったんですね。

「春日は自分に合わせているだけだ、あいつは結局クソムシだから自分とは違うんだ」

だからこそ夏祭りのあの日、春日を突き飛ばして一人で死のうとしたのだと思います。「これまで付き合わせてごめん」という謝罪と、「お前まで巻き込むわけにはいかない」という感情があったと思われます。

とにかく最終的に言いたいことは、人に迷惑かけないでくれということです。私もある種クソムシと変態の狭間の人間だと思っていますが、誰にも迷惑はかけていないつもりです。なので静かに変態行為をしましょう!と声を大にして言いたい。

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